『プリズン・サークル』を観て思ったこと

ともに自主上映の会の柳です。一人でも多くの方に見ていただきたいと思い、『プリズン・サークル』の私なりの魅力をお伝えしたいと思います。

この作品を知り、どこかぼんやりと自分の中に存在していた「対話」に関する知識が、だんだんとその輪郭を感じ取れるような感覚が出てきました。
暴力に頼らない問題解決力を身につけたいとずっと考えてきましたが、対話にはその力があるだけではなく、対話をする相手を通して、自分だけでは辿り着けない考え方や、相手そして自分のあまり気づいていなかった部分を知ることができる、そんな可能性をこの映画から受け取りました。

残酷な事件の加害者に関する報道があると、その報道を見た人から加害者に対する厳しい意見、重い刑罰を望む声が出てきます。

そこでふと、自分も加害者になるかもしれないことに気がつきました。

注意が足りず車の運転中に歩行者を傷つけてしまうかもしれない。メンテナンス不足で自宅の何かが落下し、そこに偶然通りかかった人を怪我させてしまうかもしれない。気軽に関わった仕事が、犯罪に関わるものだったかもしれない。

そうなった時、加害者に対してどんな社会であって欲しいか。

安心して過ごせる社会ってどんな社会だろうか。

子どもの頃、親の貯金箱からお金を取ってスーパーに置かれていたジャンケンゲーム機に全て使ってしまったり、親戚の家に預けられた時は従姉妹の持ち物とわかっているのにシールやレターセットを持って帰ってしまったことがあります。

これらのことは今思い出すとすごく苦しくなります。普段は忘れて日常を過ごしていますが、何かをきっかけに過去を振り返るたびに思い出してしまい、重たい気持ちになります。

けれどその当時は、苦しくなることも気が重たくなることもなく、なっていたとしても気がついてはいませんでした。

ではなぜ何年もたった今、気持ちの重たさを感じるようになったのか。それは、人と関わり合い、社会の中で様々な体験をして、家庭の中だけでは育たなかったであろうたくさんの感情が育まれたからだと思っています。

これを打っていて思い出したのが、高校に入学したてのある日のことです。その日私は母と一緒に靴屋さんに行って買ってもらったおしゃれなスニーカーを履いて行きました。その靴は、自転車通学のことを考えて、動きやすくてシンプルなデザインのもの、と母と一緒にこだわって選んだスニーカーでした。

授業が終わり、昇降口にいって自分の棚を見ると、履いてきたはずのそのスニーカーがありませんでした。

数日後に噂で聞いたのですが、高学年の生徒が多くの新一年生がはいてくるであろう新品のスニーカーを盗って中古ショップに売ってしてしまっていたそうです。

それを知り、言語化できない喪失感を味わいました。

そんな体験も含め、そこに偶然私がいられる場所が社会の中にあったから、私と関わる人がいたからこそ、その重たい感情を持つことができました。

だからこそ、この映画で描かれている「受刑者の出所後の居場所」があるという事がものすごく大事なことだと分かりました。当事者同士、という点も大事です。

映画に出てくる「TC」という取り組みは、すぐにでもすべての刑務所で取り組んで欲しいと思いました。全ての人に、回復の機会があってほしいと強く願います。

この映画には、語り合いたくなったり思索に耽るポイントがたくさんあります。ぜひ観に来てください。9月8日10時から感想シェア会をやります。その時には皆さんと一緒にいろいろ考えてお話しできたら嬉しいです。

☆上映会、講演会情報はこちら☆

https://tomonijouei.blogspot.com/2024/06/tc.html

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